2002年10月19日更新
タイトル・ロゴ第3部
これは千葉県浦安市に住む島袋 ひろ子(OL 25歳 仮名)が、一念発起しジャズ・ピアノを始め、上達していく物語である。
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第9話 ステップスの忘れ物
〜今時ジャズの構造学〜
1980年に来日し、日本中を席巻したステップスが残したものは何だったのか。
ひろ子: 博士から聞いたステップスのCD、ようやく手に入れました。
五反田: ひろ子くんが買ったのはこんなジャケットったかな?

Reissue Jacket

ひろ子: そうです、そうです。
五反田: 実はこれは別テイクや未発表曲などを加えた、再発もので、オリジナルはLPでこんなジャケット発売されたんじゃ。

Original Jacket

ひろ子: ステップスについてもう少し教えてください。さっきのCDには1979年の12月15,16日に六本木ピット・インの演奏と書いてありましたが...
五反田: 実はそれは1980年の間違いなんじゃ。

ステップスというバンドはマイク・マイニエリを中心に、当時のフュージョン界のスターが「アコスティックなズージャもやってみたいね」ということで仲間同士のセッションのような形で始まったんじゃ。だから必ずしもメンバーは固定されていたとは言い難い。

そのセッションをたまたま見た日本人のプロデューサが「日本に来てライブとレコーディングをしないか?」と誘ったんじゃ。

ひろ子: メンバーについて教えてください。
五反田: リーダーは一応、ビブラフォンのマイク・マイニエリで、テナー・サックスのマイケル・ブレッカーピアノのドン・グロルニックベースはエディ・ゴメスドラムスのスティーブ・ガッドゃ。何曲かにギターの渡辺 香津美んがゲストで参加した。アルバムにも1曲、収録されておる。
ひろ子: ところで、ステップスから何を学ぶんでしょうか?
五反田: それじゃあ、実際に曲を見てみよう。オリジナル盤でも再発盤でも1曲目だった「Tee Bag」じゃ。
ひろ子: マイク・マイニエリ作曲のナンバーですね。

五反田: 昔、この曲を演奏するときは「飯島 愛!」とか言ってたな。「Tバック」なんちゃって....
ひろ子: さぶ〜。

リハーサル・マークAのクールなサウンドとBやDのホットなパートのコントラストが印象的ですね。でも、ちょっと気になったんですが、4ビートの感じが堅いというのか、カチカチしてると言ったらいいのか、とにかく違和感があるんですが....

五反田: その感想は当時の主流的な評価であったし、実際、わしもそう思った。某ジャズ雑誌どは「あんなのは4ビートじゃない!」と言い放って、ステップス批判をしておった。特にこの曲は「クールさ」を演出するためにわざとやってるようなところもあるのじゃがね。
ひろ子: どうしてそう感じるんでしょう?
五反田: 大きな要因はドラムスのシンバルレガートにある。伝統的な4ビートではこんな風に叩くと言われておるよね。

ひろ子: いわゆる「チーン・チキ、チーン・チキ」というやつですね。
五反田: もちろん、譜面では便宜上、8分音符を3連の1個目と3個目と記しているが、第2部第7話で説明したように、実際にはより均等な普通の8分音符に近いものであることは言うまでもない。

しかし、そもそも「チーン・チキ、チーン・チキ」というのは本当だろうか。むしろ

とか

のように叩くのが普通じゃな。それをガッドは次のように4分音符で叩いたんだから、随分異なるサウンドになるのは当然じゃ。

ひろ子: でも、何故わざわざそんなシンバル・レガートを叩く必要があるんでしょうか?
五反田: 一般的に言えば「リズムの自由度を広げるため」と言える。伝統的な4ビートではどうしてもその独特なテイストというかスイング感が全面に出てしまい、リズム的なバリエーションが限られていたんじゃ。

片やロックやラテンなどを初めとして8ビート、16ビートの音楽が主流になっていく中で、いつまでも「チーンチキ、チーンチキ」で済む時代ではなくなったということ。

いちばん卑近な例で言えば、ドラマーの「おかず」のバリエーションが増えたと言える。サンバや16ビートの曲でしか使えなかった「おかず」が4ビートの曲でも違和感なく使えるようになったんじゃ。そのメリットが昔ながらの「4ビートらしさ」を犠牲にしてあまりあると判断したのじゃろう。

ひろ子: フュージョンで使ったフレイズを4ビートの曲にも使える、ということですよね。
五反田: その逆もアリなんじゃ。4ビートならではのフレーズなども8ビート、16ビートの曲に応用できる。そしてそれらをまた4ビートに応用する。こういったフィードバックの連続がリズム面で可能になったというわけじゃ。
ひろ子: それはドラムに限らず、あらゆる楽器でも「より均等な8分音符」を目指す動きとなって、試みられていったわけですね。

そうか、それが「新しい4ビート」なんだ! もう完全無欠の4ビート誕生ですね!

五反田: いやいや、そうともいかんのじゃ。この新しい4ビートはスリリングさをウリにしているため、ある程度のスピードが必要なんじゃ。伝統的な4ビートが得意とする、ゆったり目のテンポではどうしても間が持てなかったり、違和感が残ってしまうんじゃ。

このアルバムには四分音符=120くらいの「小粋にスィング」みたいな曲がないじゃろう。そのくらいのテンポでの「新しい4ビート」はショボイのじゃ。ジム・ホールアランフェス協奏曲」やマイニエリも参加した「Big Blues」を聴いてみるといい。ガッドの4ビートが笑っちゃうくらい浮いておる。

「Tee Bag」はこのアルバムの中では比較的遅めのテンポ(四分音符=140)なんじゃが、このテンポでは「新しい4ビート」のスリリングさやスピード感がいまいち生きずに、ショボさが顔を覗かせたのかもしれん。ひろ子くんがこのスイング感に違和感を感じたのはそんな理由じゃなかろうか。そういう意味でもこの「Tee Bag」はこの4ビートの良い面も悪い面もわかりやすく提示してくれていると言えるだろう。

ひろ子: なるほど。今一度、4ビートについて考えさせられますね。でも博士、私がもっと疑問だったのは、この曲、1コーラスはどこからどこまでなんですか?
五反田: まず、テーマの構成を見てみよう。4ビートのA、ペダルのB、4ビートのC、再びペダルのD、締めとも言える4ビートのEという構成じゃ。

アドリブはA−B−Cと普通に続いて、Cの最後2小節、テーマではC7、アドリブではCm7 - F7を延々と続けて、アイコンタクトののち、Dをアンサンブルしてソロ交代という構成になっておる。

ひろ子: 曲の途中を繰り返す感じなんですね。それじゃあ、1コーラスなんていう感覚じゃないんですね。それにしても、Dのメロディが盛り上がったソロを丸く収める、いい仕事をしてます!
五反田: マイニエリはこの手の構成が好きで、「I'm Sorry」という曲も同じような作りになっておる。

必ずしもテーマと同じコード進行でソロを取ることが全てではない、ということを教えてくれる、1曲だ。

ひろ子: え? そうなんですか? 随分、昔の話になりますが、「第1部第1話」で「テーマのコード進行でアドリブするのが基本じゃ」とおっしゃってたはずですが。。。。
五反田: だから、基本はそうだと言ったんじゃ。ジャズの場合、「曲はあくまでもアドリブのための素材に過ぎない」という考え方が古くからあって、テーマは単なる「添え物」として扱われることが多かったように思う。

でも考えてみれば、テーマと同じコード進行でずーと繰り返すというのは音楽として随分と単純過ぎやしないか? クラシックみたいに第一主題があって第二主題があって、変奏部分があって。。。なんて必要はないが、テーマはテーマのメロディ、ソロはソロのコード進行があって、時にはソロだって全員同じコード進行じゃなくてもいいかもしれない。

ひろ子: 確かに音楽としての完成度を考えればそうかも知れないですね。ちなみに「あとテーマ」はA−B−C−Dまでやって、そこで終わりでした。
五反田: まだまだ、話したいことはあるが、先に進めよう。オリジナルではB面の1曲目、再発CDでは3曲目の「Fawlty Tenors」。
ひろ子: こんな曲でしたね。Dmブルースなんですよね。

五反田: 16ビートだから印象としては24小節、つまり尺が倍のブルースに聞こえるな。
ひろ子: Dmが続くところでこんなフレーズをやってました。

第3部第4話」で紹介してもらった、ドミナント・フレーズの応用ですね。コードはずっとDm7なんですが、フレーズはドミナントのA7と行ったり来たりしています。このフレーズ覚えとこっ!

五反田: 2段目は本来、Gm7であるところを代理コードとしてBb7を使っておる。
ひろ子: 第3部第4話」でメジャー・ブルースの2段目で#11(シャープ11th)の使い方を教わりましたが、Gm7Bb7に変えることによってマイナー・ブルースに使えるようにしたわけですね。

#11を強調したフレーズとしてこんなのをやってました。

テンションとしてはミ=#11th、ド=9th、ラb=7th、ソ=13thですね。

五反田: Abmaj7+5のアルペジオであると言えるかな。

分数コードで書けばとも書けるじゃろう。

いずれにしてもBb7のテンションであるわけじゃ。

ひろ子: ということはFブルースでもこのフレーズは使えますね。よしよし。(^_^)v
五反田: 同じ音使いでテナー・ソロにもこんなのがあったぞ。

ひろ子: ん〜、シビレる〜。「切ない系」のフレーズですね。

3段目のEb7 - Db7Dに解決するII-Vの役割をしていますね。ピアノがこんなフレーズをやってました。

テナー・ソロではこんなフレーズ。

それにしても2段目に行く前のB7のサウンドが印象的ですよね。

五反田: これは「第3部第6話」で触れた「ウラ・コード」じゃな。
ひろ子: マッコイやコルトレーンのソロを紹介して頂きました。アドリブのアプローチの一つである「半音上の7th」を曲として組み込んだということになりますね。
五反田: その通りじゃ。ここではB7なんだぞ!と強く印象づけるためにかなりわかりやすいフレージングが聞かれる。

ひろ子: 一瞬、調性ががらっと変わるのがわかりますね。
五反田: そういうコード進行もこの曲の魅力であるが、なんといっても前半8小節がサンバ、最後の4小節が4ビートという、リズムの処理が凄いじゃろう。しかもご丁寧にテーマからアドリブまで、全コーラスに渡ってそれを繰り返すのじゃ。
ひろ子: 8や16ビートの曲が途中から4ビートになったりするアプローチはよくありますが、ブルースのように1コーラスが短い曲でこんな風にリズムが変わるのは珍しいかも知れない。
五反田: これこそがStepsのStepsたる所以なんじゃ。「第2部第7話」でも述べたが、4ビートと8,16ビートのようなスクエアなビートとのギャップが大きければ、音楽として支離滅裂なものになってしまったじゃろう。

ところが「Tea Bag」のところでも述べた「新しい4ビート」を採用することによって、このギャップが小さくなり、基本的には「4ビートも8,16ビートも同じタイム感で演奏する」ことが可能になるわけじゃ。

ひろ子: なるほど、そうつながってくるのか。。。

オリジナルではC面の1曲目、再発CDでは2枚目の1曲目の「Young & Fine」について、語ってください。

五反田: 実はわしはこの曲が一番好きだし、一番Stepsらしさが出ていると思うし、音楽的にも素晴らしいと思っておるのじゃ。
ひろ子: そうだったんですか! ちょっとテーマが長いですが、早速、聴いてみましょう。(楽譜を別ウィンドウで見る)ついでですから、テーマのバンド譜もリンクしておきます。(e9m10.pdf)

この曲はWeather Reportの「Mr. Gone」がオリジナルですよね。随分と雰囲気が違いますが、ウェザーの方も聴いてみましょう。

五反田: 曲の雰囲気は随分違うが、イントロ以外のメロディや和音は殆ど同じなんじゃ。Aメロ、Bメロ、それにAメロを4度上に転調したCメロも同じじゃろう。イントロが違うが、これとてStepsが独自に付けたものではなく、Bメロの5段目のフレーズを元にしておる。
ひろ子: 完全4度の和音のところですね。StepsのイントロではGペダル上で、BメロではCペダル上で4度和音を全音ずつ下がってくるパターンをやってます。

それにしてものどかな田園風景を思わせるウェザーの曲調とは全く違う印象ですね、Stepsの方は都会的というか鋭角的というか...

五反田: それがStepsらしいところの1番目じゃ。4ビートの曲なのに異常なほどにベース、ドラム、ピアノなどがキメキメじゃろう。こんなところとか。

ひろ子: ジャンル的にフュージョンに分類されるウェザーより、「ジャズ」と称されるStepsの方がキメキメだなんて、面白いですね。
五反田: 確かにそうじゃな(笑)。Stepsのメンバーはそれぞれ、フュージョン界の売れっ子ミュージシャンであったので、4ビートの曲をやるときにもフュージョンの素養が生きた、逆に言えばフュージョンをジャズに生かしたと言えるんじゃないかな。
ひろ子: ところで博士、この曲のアドリブ・パートですが、テーマとは全く関係ないコード進行のような気がするんですが。

「Tea Bag」の「Cm7F7」のところと同じように、単純なコード進行の繰り返しのように聞こえるのですが。

五反田: 「単純なコードの繰り返し」というのは正しい。この手法は「複雑なテーマとシンプルなアドリブ・コード進行」とわしが勝手に呼んでいるもので、いろんな曲で採用されている。

このアルバムでも「Not Ethiopia」がそうだし、StepsがSteps Aheadになってからの「Poolsや、チック・コリアの「Samba Song」や「Cappucino」このパターンじゃ。「Tea Bag」のところで説明した、「テーマと同じコード進行でソロを取ることが全てではない」を徹底した形じゃな。

曲全体を見て、テーマからソロへの流れが自然であり、バランスがとれていればテーマと違うコード進行でソロをやっても何の問題もないのじゃ。

ひろ子: ビ・バップのころの「テーマのコード進行はアドリブのための素材」という考えじゃないんですね。「アドリブは曲を構成する一つの要素」とでもいうような、発想なのかしら。

アドリブのコード進行としてはII - V - III - VI(2−5−3−6)を延々と繰り返していると思うんですが。

で、アイコンタクトでバックのアンサンブルがペダル・ポイントのパターンになると...

五反田: コード進行は正しいが、「延々と繰り返す」というのは「ブー」じゃ。この曲では全員が4コーラス、ソロを取っている。しかも意識的に各コーラスを演奏しておるから、今何コーラス目かがすぐわかる仕組みになっておる。
ひろ子: え?、4コーラスですか? しかも、何コーラス目かがすぐわかるとは...
五反田: ヒントはテーマの後、テナー・ソロに入る前のインタールードにある。

これがソロ・パートの提示になっているんじゃ。このインタールードの続いて4ビートで3コーラス、4コーラス目でインタールードのパターンで締めている。だから1コーラスは32小節だと言えるんじゃ。

ひろ子: インタールードのコード進行とバックのリズム・パターンはこうでした。

五反田: 装飾のためにいろんなコードを弾いておるが、基本はBbm7−Eb7ーCm7ーF7のII-V-III-VIじゃ。1〜3コーラスまではさっき、ひろ子くんが言った4小節のコードを8回繰り返して1コーラスなんじゃ。

1コーラスが32小節だということを踏まえて、もう一度演奏を聴いてみて欲しい。先発のマイケル・ブレッカーのソロが一番いいかな。

改めてStepsのYoung and Fineを聴いてみる
ひろ子: 博士、2コーラス目からピアノのバッキングが入りました。1コーラス目はピアノが入っていなかったんですね。
五反田: そうじゃ、よく聴いてみるとドラムスもほとんど「おかず」を入れずにシンバル・レガート中心、ベースも4度音程などを使いながら心なしかアウト気味のベースラインになっておる。
ひろ子: それが2コーラス目になるところでピアノが入って、ドラムも手数が多くなります。ピアノの入り方がまたいいですね。

3コーラス目は...え!、まさか!

五反田: 驚いたかね、サックスがオルタネート・フィンガリングを駆使しながらシbから半音ずつ、レbまで上がり終わったところが2コーラス目の終わりじゃ。まあ、これは初めから意図したものではなく、その場のアイデアじゃろうが、1コーラスを意識しているからこその発想といえるじゃろう。
ひろ子: そして4コーラス目がテーマの最後で提示した、ペダル・ポイント+リズム・パターンというわけですね。確かに今何コーラス目なのかがわかります。
五反田: 整理してみよう。
1コーラス目 4ビート。ベース、ドラムのみ
2コーラス目 4ビート、ピアノ、バイブが加わる
3コーラス目   //  
4コーラス目 ペダル・ポイント+リズム。パターン。

このように各コーラス毎に明確にアレンジされておったのじゃ。

ひろ子: コルトレーン・カルテットでコルトレーンのソロが盛り上がったところで、ピアノのマッコイが弾くのを止めますよね。あれとは、逆の感じですね。
五反田: そう、そうなんじゃ。それこそStepsがわたしたちに教えてくれたことなのじゃ。第2部第6話でバンドのダイナミクスという話をしたが、それをアドリブ・パートに適用して例であるといえる。その中でホーン・ソロとベース・ソロの時のダイナミクスを図に表したが、それをここでも使ってみよう。
ひろ子: 一つ一つの楽器のダイナミクスを積み重ねて、バンド全体のダイナミクスを表す、ってやつですね。コーラス毎の楽器編成とそれぞれのダイナミクスを図に表すと、こんな感じになります。

ソロがなくても伴奏だけでダイナミクスが上がる仕掛けになっているんですね。

五反田: ソロを盛り上げるのはもちろん、ソロイストの力量じゃ。そして言うまでもなくStepsの面々はそれぞれの楽器のオーソリティであり、彼らの力を持ってすればソロのダイナミクスを縦横無尽に操るなんてお手の物じゃ。にもかかわらず、敢えてこのような造りにしたことが新しいのじゃ。

コルトレーン・カルテットの話が出たので「Impressions」などでのコルトレーンのソロの「盛り上がり度」を見てみよう。おそらく演奏してる気持ちとしてはコルトレーンのソロが白熱していくに従って、どんどん盛り上がっていっただろう。

しかし、ここで目線を聴いてる人たち、聴衆の立場で考えてみよう。ピアノが抜けたところで聴衆の緊張感というか「ドキドキ度」はグンとジャンプ・アップするじゃろう。

ひろ子: 図にするとこんな感じですね。

やっぱり、一般の人にとってみればトーナリティを支えるピアノが抜けると緊張しちゃいますよね。

五反田: また、演奏の「アウトサイド度」と言ったらいいかな、ソロのフレーズを始め、バッキングなども含めた演奏全体の「外れ具合」もまた、ソロが進むにつれて増していっておる。

ひろ子: それは「第1部第4話」で教えて頂いたアドリブの心得の「初めは少ない音符で」に通じる、基本的な流れのような気がするんですが。。。
五反田: 確かにそうじゃが、コルトレーン・カルテットの場合はその「外れ具合」が桁違いなもので...

聴いてる方が付いていけないくらい、遠くに行ってしまうこともあるじゃろう。そうすると聴衆が離れていってしまうこともあり得るんじゃないか。それはピアノが抜けることで助長されてるんじゃないだろうか。

ひろ子: その点、Stepsではその流れが逆になっていると。つまり、最初にピアノ・レスの状態で聴いてる人をドキドキさせて、2コーラス目からピアノなどの和音楽器が参加して安心させる。最終コーラスではペダル・ポイントとリズム・パターンというわかりやすい形でサウンドを明瞭にしている、と。
五反田: ソロはもちろん普通通りにどんどん盛り上がっていくし、最終コーラスではバックがわかりやすくなってるせいもあて、リズムの遊びを生かしたポリリズム的なフレーズなども多用して、かなり高度なことをやっている。しかし、音楽全体のサウンドとはインサイドな方向へ収束していき、とても聞きやすい。となると聴いてる方は否が応でも盛り上がるというわけじゃ。

何も「聴衆におもねった演奏をしろ」と言ってるわけではないぞ。ジャズというある種、高度で難解な音楽をわかりやすく聴かせることも重要だと言いたいんじゃ。

ひろ子: 難しい話を難しく話すより、わかりやすく話す方が大変ですものね。そういえば「Not Ethiopia」でもソロの最初は4ビートでピアノ・レスですが、途中からサンバになりピアノが参加します。4ビートの時は無調のような難しいサウンドですが、サンバになるとFとEbの簡単なコード・パターンが出てきて安心します。同じ手法なんですね。

でもアドリブのバックがアレンジされていることに抵抗がある人もいるいるかもしれませんね。

五反田: 「ジャズは自由」なんてことをよく言う。確かに自由は大事だし、即興演奏である限り、あらかじめ決めた通りに進行しないこともあるだろう。初めから「4コーラスのソロを取る」と決めることが「ジャズじゃない」という人もいるかもしれん。でもそれじゃあ、アドリブのコード進行が決まっているのは自由を奪うことにならないのか? 何もかも自由であればいいのか? だったら「フリージャズ」は本当に自由なのか? 「フリージャズ」というスタイルに逆に縛られていないか? 
ひろ子: ま、まあ、博士、落ち着いて。テーマやコードを決めることと同じように、ソロのコーラス数やコーラス毎のアレンジを決めることは必ずしも演奏の自由を奪うことにならない、ということですね。
五反田: その通りじゃ。

テーマがあって、テーマのコード進行でアドリブして、4バースがあって...という、それはそれでいいところもあるんじゃが、それだけではない曲の構造というか、演奏の方法論を見せてくれたわけじゃ。

ひろ子: でもそうした方法論って、あまり一般的ではないですよね。
五反田: それがわしが歯がゆく思っているところであり、こうして大声で語っている所以じゃ。

ひろ子くんには到底、想像出来ないかもしれないが、Stepsの来日公演は「Stepsショック」とでもいうべき衝撃的な事件じゃったのだ。来日公演には若手ミュージシャンや大学jazz研の強者たちが連日押しかけ、「一音たりとも聴き逃すまい」というほどの勢いで聞いていたし、「Smokin' In The Pit」が発売されるや、その影響は日本中を席巻したのじゃ。

Stepsに触発されたように、渡辺香津美さんの「頭狂奸児唐眼」の「Kanfoo」や清水靖晃んや笹路正徳んらの「JAZZ」といった、「新しい4ビートジャズ」が生まれた。大学生のジャズ・コンテストなども開催され、佐藤達哉ん、布川俊樹ん、藤稜雅裕ん、矢口博康んらが同じコンテスト出場したこともあった。発売されたばかりのチック・コリアの「Three Quartets」の曲を演奏した大学あった。このようにジャズが日本で熱かった時代の中、Stepsは最先端ジャズの教科書として広く浸透していったんじゃ。

思うに、最初に話した4ビートのことや、テーマと違うコード進行でアドリブすること、ソロのバック・アンサンブルを考えることなど、全てに共通するんじゃが、Stepsはフュージョンという音楽をジャズの一形態として認め、それをアウフヘーベンした「ジャズ」をやろうとしたんじゃ。

ひろ子: 人によってはフュージョンを認めなかったり、「ジャズじゃない」と否定してしまうこともあります。ロック・ミュージシャンと共演しただけで仲違いした兄弟いました。
五反田: その分からず屋トランペッターの出現によって、特に日本で復古的、守旧的なムードが広がった。Stepsを「ジャズじゃない」と言った某ジャズ雑誌なんか、待ってましたとばかり、時代を逆戻りさせようとしていた。その影響でStepsのことは歴史の片隅に追いやられることも多かったように思う。
ひろ子: わたしもこれまで聴いたことがありませんでした。
五反田: しかし、もうわれわれは後戻りは出来ない。フュージョンを経験してしまったからにはそれを無視することも目をつぶることも出来ない。フュージョンを踏まえて、そのいいところは取り入れて「ジャズ」を演奏していかなければならんのじゃ。
ひろ子: それにしても「Smokin' In The Pit」は長らく、日本でしか手に入らなかったんですよね?
五反田: そうなんじゃ。わずかに日本からの輸入盤で入手していた人もいたようじゃが、極めて入手困難なアルバムだったようじゃ。

1980年という時代に日本でこうした音楽が聴けたことは実に凄いことじゃ。「Step By Step」の解説で池上 比沙之さんが「こんなグループのアルバムが日本で制作されたことを、ひそかに誇りたい。」とあるが、わしは大声で叫びたい気分じゃ。

そして、この時代にStepsショックを体験した世代のミュージシャンが今の日本のジャズを支えているのじゃ。そしてもちろん、「ズージャでGO!」をご覧のあなたにもそれを伝えていくのがわしの役目だと思っておる。

ひろ子: みなさんもStepsを聴きましょう。現在、CDで入手可能なアルバムは以下の通り。
アルバム名 レーベル 番号
Smokin' In The Pit / Steps NYC Records NYC 6027-2
Step By Step + Paradox / Steps NYC Record NYC 6028
Steps Ahead Elektra Musician 7559-60168-2
Modern Times / Steps Ahead Elektra Musician 9 60351-2
Live In Tokyo 1986 / Steps Ahead Videoarts VACF-1006
次回はいよいよ、最終回。アドリブの本質に迫ります。
つづく
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五反田博士のよくわかる解説

こんなジャケット
日本コロムビアから今は亡き、生田 朗(あきら)氏プロデュースで発売。1981年2月末だったと思う。

こんなジャケット
マイク・マイニエリが版権を買い取って、自分が主催するレーベル、NYCから発売した。マイニエリは別テイクや未発表のテープをコロムビアが紛失したと言っているが、ぼくが入手した情報ではマイニエリが紛失したことになっている。真実は定かではないが、「リコーダ・ミー」はマイケルがプライベートに録音したカセット音源らしい。それにしては音がいいよね? この時、背中にマイクを貼り付けて隠し撮りした、某有名ミュージシャンをぼくは知っている。

マイク・マイニエリ
1938年7月24日生まれ。ビブラフォン奏者。1972年の「ホワイト・エレファント」ではランディ、マイケル兄弟、ガッドやドン・グロルニックらを束ねて、フュージョン・ジャム・セッションとでもいうべき音楽を作り上げた。

マイケル・ブレッカー
1949年3月29日生まれ。コルトレーン派テナー奏者として、デイブ・リーブマン、スティーブ・グロスマンらとと並んで、現代ジャズ・サックス界を代表するひとり。この3人がユダヤ人系なことから「Juwish Tenors」と呼ぶのはぼくだけだろうか。同系列にBob Mintzer,Bob Berg,George Garzone,Jerry Bergonziらがいる。

ドン・グロルニック
1947年9月23日生まれ、惜しまれて1996年1月1日死去。RandyとMiachelが結成した「Dreams」にも参加。後年はアメリカを代表する歌手、ジェームス・ブラウンの音楽監督として欠かせない存在であった。そしてマイケルにとってもその存在は大きく、マイケルの記念すべき初リーダー・アルバム「Michael Brecker」では体調が思わしくないにも関わらず、プロデューサーとして参加している。マイケルに言わせれば「ドンがそこ居るだけで安心するんだ」とのこと。

エディ・ゴメス
1944年10月4日生まれ。ビル・エバンス・トリオのベーシストとして注目を集め、チック・コリアの「Mad Hatter」などに参加。

スティーブ・ガッド
1970年代後半から「ファースト・コール」と言われた人気ドラマー。キーボードのRichard Teeらと「スタッフ」というバンドを結成。ありとあらゆるフュージョン・アルバムに登場する。

渡辺 香津美
1953年10月14日生まれ。17歳で衝撃的デビュー・アルバム「Infinite」を発表。2作目の「Monday Blues」では早くも丸くなった演奏を聴かせる。「セブンス・アベニュー・サウス」に主演中、病気療養中だったマイルスが演奏を聴きに来て、楽屋までやってきた。また、その後マイルス・バンドに加入したマイク・スターンが1981年に来日した際、ライブ終了後に一升瓶を抱えて香津美の家を訪れ、一晩中、セッションしたのは有名な話。日本のジャズがアメリカのジャズと最も接近した時代の逸話の一つ。

某ジャズ雑誌
言わずと知れた多くのジャズ・ファンを誤った道へと導いている雑誌。片や日本唯一のコンテンポラリー・ジャズ・マガジン、JazzLifeはSteps大特集であった。当時にあってはこのギャップは致し方ない面もあったが、実はいまでも状況はそんなに変わっていないように思う。

ジム・ホール
ウェス以外でわしが唯一認めるジャズ・ギタリスト。メセニー、マイク・スターンやジョンスコらはギタリスト。ケニー・○レルとかは「ジャズ・ギター」奏者。この辺の話は最終回にしよう。波紋を呼んじゃうかな?

アランフェス協奏曲
1975年録音のアルバム。チェット・ベイカー、ポール・デズモンドにロン・カーター、スティーブ・ガッドという違和感一杯のメンツで「You'd Be So〜」とかをやるもんだから、もう凄い。

BigBlues
1978年録音のアート・ファーマーとジム・ホールのアルバム。マイニエリ、ガッドにベースのマイク・ムーアが参加。ラベルの「亡き王女のためのパバーヌ」などを演奏している。日本盤解説の油○正一のボケがマイニエリに関して「もう少し我々の目の届くところでプレイして貰いたい」なんてほざいている。「フュージョンでなくジャズをやれ」ということか! ムカつくぜ!

I'm Sorry
マイク・マイニエリの1977年「Love Play」に収録。「Blue Montreux」でも演奏されたが、マイケル・ブレッカーのソロが途中で編集されている。「深町 純&ザ・ニューヨーク・オールスターズ・ライブ」が超オススメ。

Mr. Gone
1978年のアルバム。「Young and Fine」をはじめ、「Punk Jazz」や「Pinocchio」を収録。ピノキオではウェザーには珍しく4ビートを聴かせてくれるが、その4ビートももちろん「新しい4ビート」だ。かつて「エレベで4ビートは出来るか」という論争があり、「ジャコだったらできる」という結論になった。しかしそれは誤りで「ジャコのように新しい4ビートだったらエレベでも出来る」が正解。ちなみにこの「Young and Fine」にもガッドは参加しているが、ハイハットしか叩いていない。ガッドにハイハットだけを叩かせる意味がどこにあるかは不明。

Pools
今は亡きドン・グロルニックの名曲。グロルニックは健康上の問題もあってStepsを抜けたが、この曲はグロルニック脱退後のSteps Aheadの代表曲である。16ビートの複雑なテーマとほぼマイナー7th一発で転調するだけというシンプルなアドリブ・パートのバランスが絶妙。

Samba SongやCappucino
1978年のアルバム「Friends」に収録。新しい4ビートはこのアルバムや同じくチック・コリアの「The Mad Hatter」の「Humpty Dumpty」が最初。ベースとドラムがゴメスとガッドなのは偶然ではない。マイニエリがStepsを始めるに当たって「コリアのFriendsのようなサウンドにしたい」と言ったのも頷ける。

清水 靖晃
1954年生まれ。日野元彦「流氷」(1976年)でレコード・デビュー。最も早くマイケル・ブレッカーのサックス奏法をマスターした日本人であろう。六本木ピットインでのブレッカー・ブラザーズのライブ中、ステージに呼ばれて「Inside Out」を演奏したのは有名な話。

笹時 正徳
1955年5月3日生まれ。マライヤやKAZUMI BANDで活躍するキーボード奏者であったが、今や「ASAYAN」にも出演する笹路プロデューサー

佐藤 達哉
1957年12月23日生まれ。早稲田大学卒業。大学時代からその名はとどろいており、なんと在学中にレコード「スクリーマーズ・スタッフ(YX-7257-ND)」まで作っている。

布川 俊樹
1958年7月29日生まれ。東京工業大学卒。「ジョーパスそっくりさんコンテスト」の優勝者であることからも分かるように、1979年に会ったときはフルアコで端正なビ・バップ・フレーズを弾く人であったが、1年後の1980年にはセミアコでジョンスコになっていた。自らが制作するサイト「布川俊樹ジャズ.ジャングル」は必見。特に「プロフィール」は抱腹絶倒。

藤陵 雅裕
1959年11月15日生まれ。武蔵野音楽大学サックス科卒。自己のバンドの他、布川さんのValisや熱帯JAZZ楽団などで活躍中。

矢口 博康
1958年生まれ。リアル・フィッシュというグループで活躍。コンテストではフリーを演奏し、ある審査員が「こういう場所でオリジナルの曲をしかもフリーを演奏するというのはいかがなものか」と否定的なコメントを言ったのに続いて、別な審査員が「こういうバンドが出場したことはこのコンテストの大きな収穫だ」と評価がまっ二つに分かれたのはおもしろかった。結局、最優秀バンド賞かなんかをもらったように記憶している。

同じコンテスト
1980年に開催された「第1回豊島園カレッジ・ジャズ・フェスティバル」のこと。なんとわしも出場していたのじゃ! ああ、今考えると恐ろしい。

「Three Quartets」の曲を演奏した大学
1981年の「第2回豊島園カレッジ・ジャズ・フェスティバル」でのこと。確か東大のジャズ研だったと思う。

仲違いした兄弟
もう誰だか分かるよね。堅物の弟トランペッターとファンキーな兄のテナー・サックス奏者のこと。兄弟揃って柔軟なのはブレッカー・ブラザーズ。


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